2016-10-01

私はこの頃ピアノというのはなんと不思議な楽器だろうと思う場合が多くなりました。
音楽が人を陽気にさせたり悲しみに引きずり込んだりするのはわかります。またこの頃、私がよく唱えている音楽文法によって人の心理を緊張させたりゆったりさせたりするのもわかります。しかし音色というものがこんなにも必要と思い始めてから、人間の微妙な動きを出すことの不思議さに文字通り、どうしてこんな変化が出るのであろうと思い始めたのです。
Haydonは本当に天才でありますが、彼の楽譜を見ると楽譜に音楽語とも呼びたい確実な指示がなされているのです。同じ型の音型を使っていても、その次に行きたいときの最後の音には”いきたいョ”という意思表示の音色を使わねばならないし、サイゴは ”サヨナラ サヨナラ” と消えていく音色を使わねばなりません。
ピアニストは勿論その方法を知っていますが、キーをポンと押すだけの操作でその意志を持つ音色、つまり人間の微妙な心理の動きを聴かせるとは何なのだろうと思うのです。その微妙の差がつまり芸術なのだが、脳とそれを伝える筋肉、そして指先のタッチで出るものをピアノという楽器が引き受けて、その結果を ”よし来た” と一部の隙もなく(勿論そのピアニストが表現技術をしっかり持たねばらなないのですが)出してくるのです。
ピアノはあの大きな図体の中に木とフェルトで出来たハンマーと長く張られた鋼鉄の弦しかありません。どこにそんな微妙さを引き受けるものを持っているのでしょう。私はピアニストだから必死になってその作曲家の物語を辿るのですが、だから聴いてくださった方が ”素晴らしい  まるでピアノが話しかけてくれるようでした” などと仰ってくださると天にも昇るほどうれしいのであります。

室井摩耶子

1 件のコメント:

  1.  今日のブログを読ませていただいて、NHKのFMラジオで、ある演奏家が話しておられた言葉を思い出しました。「練習するのは、耳を育てるため」とおっしゃっていたのです。うーん、本当に音楽の世界は深いのですね。今日のお言葉と結び合わせて、弾ける曲のレパートリーと、表現のための音色の幅を広げたいと思います。ありがとうございます(^J^)

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