2009-01-24

新しい地図


いよいよ寒の季節に入って参り厳しく寒い日が押し寄せてきます。
今年は米寿の齢といわれて「あれ!そーお?」などといっておりますが
目下6月28日の音楽会にむけてBachやBeethovenの扉を一生懸命叩いております。
Bachは昨年夢中になりその魅力から抜け出せずにおりますが面白い事に楽譜の読み方(音楽へのアタックの仕方)がまた違ってきてポリフォニーという言葉を改めて読み直しております。
すこし専門的になりますがBachの縦に響くハーモニー(和音) そしてその和音から和音への移りは「え?うそっ!!」という程ふしぎな物語をしてくれます。ところがよくよく見てよくよく聴くと、今度は横の線が長々とメロディーとリズムを持って語っているのです。特にフーガなど、ある声部のテーマが終わると(台詞が終わる)他の声部に、それに対する台詞が始まる― のですが実は前の声部のフレーズはまだ続いてその歌を歌い上げているのです。よくテーマはきこえるように大きな音でなどと申しますが、面白い事にそのテーマの歌の音楽に心を集中すると、技術的にそこだけ大きな音を出さなくてもそのテーマはよく響いてくるのです。私は弾きながらしばしば人間というものの不思議さを思います。
前にチャイコフスキーのコンツェルトを弾いたときのことでした。あの三楽章のいよいよ終わりのところに、もう一度テーマが出てきます。オーケストラはTutti(全楽器で弾く)で それこそいっぱいの音を出している中で、ピアノがどんなに頑張っても聴こえるわけはないのです。ところがここでこのテーマの云いたい台詞まわしに集中して弾くと、この大音響の中でピアノの歌が浮かび上がってくるのです。物理的に不可能な中でどうしてそのようなことが起こるのでしょう。私は歌の持つ心(音楽の心)の不思議さを感じたものでした。
私は精神主義的な表現はあまり好きではないのですが、人間の能力(音楽の持つ力)には本当に不思議な力があるとしみじみ思います。もちろん、そこに至るためには本当にいろいろな努力は必要ですが…
まだ6月までには時間があるので新しい発見も出てくるでしょう。
頑張ります。楽しみにしていてください。

室井摩耶子